●赤谷線廃止最終日の風景(2003年2月10日掲載) |
昭和59年(1984年)3月31日、赤谷線新発田〜東赤谷間18.9kmが全線廃止になりました。
このページでは廃止最終日に赤谷線各駅、および沿線で撮影した写真をご紹介致します。
この日は往年の急行列車を彷彿させる6両編成の列車が走るなど大賑わいでした。
明日から4月というのに雪が多かったのにも驚かされますね。
昭和59年(1984年)3月31日の新発田駅2番線、3番線ホームです。
最終日ということでカメラマンも大勢訪れていました。
列車の後部はキハ58が連結されていました。
「普通」の種別幕がなかったのでしょうか、前面表示は白幕でした。
一方、列車の前部はキハ52が連結されていました。
編成は全部で4両、前後で違うヘッドマークが付けられていました。
東中学校前駅の駅名標です。比較的きれいですね。いじみのの「じ」が"GI"になっています。
東中学校前駅に到着する列車です。すべての列車にヘッドマークがついているわけではありませんでした。
五十公野駅の駅名標です。こちらは「じ」が"JI"になっていますね。
五十公野駅の待合室です
新江口駅の駅名標です。
米倉駅の駅名標です。
米倉駅の待合室です。五十公野駅と良く似た造りですね。
新山内駅の駅名標です。ボロボロですね。
赤谷駅の駅名標です。こちらも傷みが激しいですね。
赤谷駅の待合室です。こちらも非常に良く似た造りですね。
赤谷駅のホームです。雪が多いですね。
こちらも多くの人で賑わっていました。
赤谷駅に到着したキハ47です。ヘッドマークはキハ52と同じもののようですね。
盗難防止のためでしょうか、サボが針金で固定されていました。
東赤谷駅の駅名標です。ここから先には駅はないんですね。
東赤谷駅の看板です。いい味出していますね。
記念切符などを買い求める人達で行列ができていました。
こんなに賑わったのは開業以来のことでしょうか。
東赤谷駅に到着したキハ52です。
最後の姿を撮影しようと、マニアも普通の人も入り乱れて大賑わいでした。
この場所で列車が見られるものあとわずかです。みんな記念撮影に熱中していました。
まだ廃止前にもかかわらず、注意書きの上に貼られた紙が剥れていました。危ない危ない、決して私が剥がしたのではありません。
住民が一丸になって活動しても時代の流れには勝てないものですね。看板自体が雪に埋もれかけていました。
雪がある寒い日にもかかわらず、窓を開けて写真を撮ったり、風景を眺めたりしている人がたくさんいました。
エンジン音を轟かせながら上り勾配を駆け上って行きました。
パノラミックウインドウのキハ58です。
この列車は6両編成でした。往年の急行列車を彷彿させますね。
東赤谷の入場券だけ変色してしまいました。
アルバムのいちばん上の段に入れておいたため、
他のものよりも光や空気に触れ易かったためと思われます。
アルバム保管も万全ではありませんね。
(2013年5月19日追記)
赤谷線廃止に際して新発田駅で発売された記念入場券です。
写っているSLは戦時型のC11269のようですね。(画像クリックで拡大画像をご覧いただけます)
使用されていたレールをスライスしたものも売られていました。
確か通販で販売されていたような気がします。
明日からは代替バスでの運行になります。
道路工事が間に合わず、しばらくの間は赤谷乗換えになっていたようです。
こうして国鉄赤谷線は歴史に幕を下ろしました。
この場所に列車が走ることはもう二度とありません、永遠に・・・
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2003年2月10日(2013年5月19日追記) 安良町経由村上行き
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