●バス写真館(新潟交通編2)2002年夏 |
新潟交通の分社化に伴い、村上営業所は「新交北貸切バス」という社名になりました。
2002年春、社名が「新潟交通北」と改められましたが、車両は使い古しのオンボロ車両が多く運行されていました。
ところが2002年夏、いままで活躍していたCJMや日産の旧タイプの姿が急に見えなくなってきました。
それと同時に新潟を代表する北村ボディ(通称なまず)が続々と北上してきたのです。
ついに旧型車淘汰の時がきてしまいました。私は急いでカメラを持ち出し、
かろうじて360、361、365の3両の旧型車の撮影をすることができました。
(2012年7月文章追記)
一番下の写真以外は画像クリックで1280サイズの写真をご覧いただけます。
G361-N 下関営業所
村上営業所から転出後に村上行きとして使用されている場面で、国道7号から村上市内へ入るところです。
レンタルのニッケンがあった場所は2012年現在かっぱ寿しが営業しています。
村上営業所所属車両(2002年10月19日現在)
G515-M G662-I G785-N G865-I G866-I G867-I G868-I G869-I G870-I G871-I G899-I
G1405-N H81-M(元東急) H171-M(元都営) H172-M(元都営)
新潟200か・231(高速バス) 新潟200か・232(高速バス) 新潟22か・983(高速予備車)
現在村上に集中配属されている「なまず」も古い車両ですが、
新潟交通の一時代を築いた名車で非常に人気の高い車両です。
余生を送るのには最適な地なのかも知れません。村上は城下町で、
いわゆる「町屋」は間口が狭く奥行きが長いために「うなぎの寝床」という名がつけられています。
その一方で「なまず」の一大拠点となった村上営業所は「なまずの寝床」と呼ばれています。
(ワタシが勝手に呼んでいるだけですが・・)
新22か・281 村上駅前での撮影です。
見たこともない「瀬波温泉」という方向幕を出していたのでとっさに撮影しました。
そのためカメラのセッティングが間に合わず、ブレた写真になってしまいました。
昭和50年代後半の撮影です。
2002年(2012年7月追記) 安良町経由村上行き
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