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 安良町交通博物館
 2002年
  SL写真館(会津若松編2)1973年8月1日・2日

安良町交通博物館 管理人:安良町経由村上行き
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(このページは2002年に初掲載したものを再編集したものです)

 この年の1月に初めてSLの撮影で会津を訪れてから7ヶ月、再び会津若松を訪れる機会がやってきました。1973年8月、父親に買ってもらったばかりのアサヒペンタックスSPを持って、両親とともに2度目の会津訪問を計画しました。

 今回は一泊二日の行程で、駅から少し離れた場所での撮影も行ないました。この時に出会ったC11312号と、十数年後に大井川鉄道で再会することになろうとは想像さえもできませんでした。しかし40年近い月日というものは人の記憶を曖昧にさせるもので、12枚撮りフィルムわずか2本であっても所々に場所や列車番号の分からないコマが存在します。当時のプリントの裏書やメモ、鉄道雑誌への書き込み等を見直しても理解できない箇所が何箇所かありました。ここでは当日の写真をほぼ時系列に掲載しながら検証作業を行なってみようと思います。

1973年8月1日 会津若松入り

 当時燕市に住んでいたことを考えると、当日の朝に出発して一番早く会津若松入りできるのは10:40頃に到着する「急行あがの1号」ということになります。従って会津若松駅での発車シーンを撮影できるのは、その直後の10:56発の只見線1493レからということになります。

只見線1493レ C11192 会津若松発車(10:56)

 1月に訪れた際の写真を見るとこの1493レは只本線(3番線)から発車していたように見えるのですが、今回は上り1番線あたりから発車していたようにも見えます。

1493レの撮影を終えてから許可を取って会津若松運転区へ見学に行きました。


ドームが角型の戦時型C11289、新橋駅前のC11292と似たタイプです。背景にEL庫が見えます。


仲良く休息するC11244とC11312


最近まで大井川で活躍していたC11312です。ナンバーの書体が大井川時代とは違っていますね。


見るからに老体という雰囲気を醸し出しているC58354です。



 扇形庫の3番にはC5816が、4番にはナンバープレートを外されたC11366が入っていました。5番に見える気動車はキハ23あたりでしょうか。


 転車台の近くにはC11178が停まっていました。正面プレートの手入れもままならない、いかにも末期のSLといった感じです。


 左右の水タンクには補強用のアングルが取り付けられていて、パッと見には格好良く見えましたが、実際にはボロボロだったんでしょうね。


七日町駅へ


 運転区の見学を終えてから1393レの走行シーンの撮影をするために七日町駅近くの踏切へ向かいました。たぶん昼過ぎの只見線の気動車で七日町まで行ったと思うのですが、記録は残っていませんでした。

会津線1393レ C11289 会津若松〜七日町間 金川町藤堂踏切付近。
惰行運転で音もなく通過してゆきました。
(13:15頃)
会津線1393レ通過音 WMAファイル(0分47秒)


何気ない一コマですが、トラ71025という形式表示も今となっては懐かしいですね。


 恐らく只見線1493レの折り返しの1490レと思われますが、13時過ぎに1393レを撮影してからこの列車が来るまで何をしていたのか全く記憶にありません。七日町駅通過(17:00頃)
只見線1490レ通過音 WMAファイル(1分03秒)

 実はこの写真には15:55頃通過の1390レという裏書がありました。しかし午前中の1493レがC11192だったことを考えると、この列車は1390レではなく1490レと考えるのが妥当だと思います。じゃあ1390レの写真は何故残っていないのか? 全く分かりません。

 おそらく西若松駅3番線からの撮影だと思われますが、ここまで列車で移動したのか徒歩で移動したのか記憶にありません。次位にマヤ(?)を控えた貨物を牽引するC1180、列車番号は分かりませんでした。


これも西若松駅3番線だと思われます。

 時刻表に載っていない列車がやって来たので通り過ぎてから慌ててカメラを向けたら、後補機にC11252が付いていた・・・という状況だったと思うのですが定かではありません。前方に見える出発信号機が下りていることから見て、後追い撮影であることは間違いないと思います。

 会津若松駅に戻ると18:56発の磐越西線野沢行き客235レが発車待ちをしていました。
磐越西線235レ発車音 WMAファイル(1分26秒)

 前照灯の反射などもあって撮影した当時はあまり気に入っていませんでしたが、今となっては夕暮れの雰囲気が感じられて懐かしさいっぱいです。

 このあと午前中の1393レの折り返しの1392レを見るために藤堂踏切付近へ行ってこの日の工程を全部終えました。会津線1392レ通過音 WMAファイル(0分44秒)既に暗かったので撮影はできませんでした。

 そして朝会津若松到着後に探しておいた駅前の「ヤマニ」という古い旅館に泊まることになりました。
当時としても非常に老朽化した旅館で、薄暗い渡り廊下を歩いて行った先にある小さな部屋に宿泊しました。備え付けのテレビで見た福島中央テレビが印象的でした。

1973年8月2日 早朝に出発

 今と違って24時間チェックアウト(こんな言葉さえありませんでしたが)できるわけもなく、翌朝早く出発するからと告げて、代金を前の晩のうちに精算し、まだ旅館の人も起きていないような早朝に宿を後にしました。

日中線 混621レ C11192 会津若松発車(5:14)
早朝のためシャッター速度が稼げずブレてしまいました。

日中線621レ発車音 WMAファイル(1分28秒)


会津線 1391レ C1119 城北町新城踏切通過(5:50頃)
真っ白なドレンが印象的ですね。
隣の建物は栄川(えいせん)酒造です。
会津線1391レ通過音 WMAファイル(0分54秒)

 隣の引込み線に止まっているのは上野行き急行ばんだい1号(4202M)、確証はありませんが前夜に上野を発車して5時過ぎに会津若松に到着した、ばんだい6号(4215M)の折り返し使用かも知れません。

再び会津若松駅に戻って・・・
只見線 1491レ C11252 会津若松発車(6:33)
只見線1491レ発車音 WMAファイル(2分32秒)

このあとDD51が牽引する磐越西線の普通列車で喜多方へ向かいました。

 5:14に621レを牽引して発車したC11192が日中線を一往復して喜多方に戻ってきました。その後、喜多方で入れ換え(おそらく)を行なったのちに7:53発会津若松行き客244レとして入線しました。


喜多方駅で連結作業を行なって会津若松へと向けて発車しました。

 この列車に乗って会津若松駅に戻ったのち、恐らく新潟行きの「急行あがの1号」か、その前の普通列車に乗車し、新津で信越線に乗り換えて帰宅したものと思われます。

そして今回の目玉、磐越西線244レ乗車録音 WMAファイル(25分40秒)
喜多方から会津若松まで乗車したうち、途中の姥堂から会津若松までの走行音を録音しました。

区間距離 喜多方発会津若松行き244レ
--
1.7
2.0
2.4
1.9
3.1
5.5
喜多方
会津豊川
姥堂
塩川
笈川
堂島
会津若松
7:53発
7:57発
8:01発
8:05発
8:09発
8:14発
8:24着

 喜多方から会津若松まで16.6km、所要31分として表定速度は約32.1km/hですから、いかに遅かったかが分かると思います。しかし録音を聴く限りではこれでもC11には精一杯だったようにも思えます。この録音は一両目のデッキで行なったものですが、機関車から近すぎたせいか、特に汽笛の後などにテープレコーダーのリミッターが動作して録音レベルが下がっているのが分かります。掲載に当たっては可能な限り補正を行ないましたが、完全には補正しきれていないことをご了承いただきたく思います。

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2002年初公開
2012/07/30再編集


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