硬券ではないけれど、昔はこんなキップを使ってましたよね。

硬券と違ってコレクションの対象にはなりにくかったけれど、
管理人は改札で渡さずに済むものは渡さずに持ってくる性格だったので(今もそうですけど)、
こういったキップが手元に残っています。今となっては懐かしいキップです。
この当時、駅の窓口での指定券は一週間前の同じ曜日に発売されていました。


下りの「いなほ」が取れないときは
「とき」で帰って来ました。
当時はまだ下り奇数、上り偶数という
便数のつけ方ではなかったので、
下りですけど「とき12号」です。
指定席特急料金は1600円でした。



上りの「佐渡4号」夜行便です。
村上発最終の気動車で
新津へ出て乗り換えたので、
発駅も新津になっています。





上りの「いなほ1号」です。
これに乗ると乗り換えなしで
上野まで行くことができたので便利でした。
時間はかかりましたけど。
こちらも「とき」号と料金区分は同じで
1600円でした。




昭和54年になると特急料金が
1900円に値上げされました。
実に2割近い上げ幅です。

この時は既に下り奇数、上り偶数という
便数のつけ方になっていました。



右上の昭和53年のキップは
「いなほ1号」になっていますが、
このキップは「いなほ2号」になっています。
本数自体は変わらないのですが、
何か便利になったような錯覚を
覚えたものです。


昭和55年途中にはに特急料金が
2000円に値上げされました。
当時は毎年毎年値上げが
行なわれていました。





こちらは昭和53年に近畿日本ツーリスト東京西(八王子)で買ったものです。
駅の窓口では1週間前にならないと指定券は買えませんでしたが、
旅行会社では1ヶ月前から買うことができました。

駅で発売される券に比べてフォーマットはかっこいいですが、
手書き文字にスタンプ押し、金額は該当部分を切り取る方式でした。
時代を感じさせますが、味があっていいですねえ。




昭和56年には村上駅のマルスが新型に置き換わりました。
でも駅名や列車名がカタカナになっていて妙な感じです。
この頃、特急料金がまたまた値上げされ、昭和53年には1600円だったものが昭和56年には2200円へ、

3年間で実に37.5%もの値上げが行なわれました。



JR化後も同じフォーマットの指定券が発券されていました。
ただし下地のデザインが「こくてつ」から「JR」になり、上の方の「国鉄」の文字もなくなりました。


一方こちらは車内補充券です。
手書き文字、パンチ穴、料金部分の切り取り等々、
今のレシートみたいなものと違って雰囲気ありますよね。


(上)↑
いつのものかは不明ですが、
400キロまで自由席で1400円でした。






(右)→
たぶん「佐渡」に乗った時のものだと思いますが、
詳細は不明です。新潟の「潟」の字が…。

 



(上)↑
新幹線303Cから「いなほ」に乗り継ぐ際に
車内で買ったものです。
何故このキップを出さずに村上駅の改札を
通れたのか謎です。全く覚えてません。

←(左)
早通から内野までの乗車券(220円)です。
なんでこんな買い方をしたのか、謎ですが、
もしかすると…、内野仮乗降場の撮影に
出かけた時のものかも知れません。
村上から早通までのキップで乗車して、
乗り越し精算したほうが安くつくとか…、
そんなことだったのかも知れません。

おまけ


昔はお盆や正月に「帰省バス」「帰京バス」というのが運行されていました。(いまでもあるかも?)
村上営業所から東京(どこだか忘れた)まで直行で5200円、
ただし関越道開通前ですので、国道49号線郡山〜東北道経由です。
こんなキップ、まず残ってないでしょう。

たぶん続く
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安良町交通博物館 管理人:安良町経由村上ゆき
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